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手書きの4つ折りカレンダー。 [宝もん]

NY時間でも8月に入った。
朝から洗濯機はぐるぐる回り、デッキでは雨がしとしと木板をまんべんなく打ち付ける。
わがやのそばに立つ街灯に巣を作るスズメたちが、雨の中、フェンスの上に並んで合唱中だ。
ドアを開けっ放しのままコーヒーを入れる。一日分更新したPCデータを
メモリーステイックに保管する。ぴは
ぬいぐるみのたぬきの中に僕が仕掛けたトリートと格闘中。

今年に入ってからなんとなしに手書きでカレンダーを作り始めた。
鉛筆と紙を用意し、手元の携帯のカレンダーで曜日を確認しながら、
紙に縦線、横線を引き、縦を7つに、横を5つに割って、曜日を入れる。
日曜日はきもち大きくしてみよう、なんてかなりおおざっぱで自己中なカレンダー。
これが意外や意外、使えるカレンダーになった。
毎月、直前に飛び込んでくる予定なんかも
書き込むと、ひと月が終わると「まっくろけ」だ。

縦横2cmの幅の四角の中の一日という余白。そこでやったことが一個一個積み重なる。
去年apple calendar に全てを入れて勇んで日本に帰国したら、時差を感知したスケジュールが
一日先へ飛び、感知しないものはそのままステイするという、とんでもない事態が起こる。
そんなとき日本の友達が「これあたしの使ってるスケジュール帳だけど、コピーして
あげるから12月くらいまで試しに使いなよ」と9、10、11、12月分をくれる。
大助かりだった。
持ち運びは4つ折りにすれば簡単だし、なによりも、
小さな余白にたくさんのことを書き込めないの
がいい。必然的に、一日に少量しか詰め込まなくなる。
それをnYに戻ってからも使い続けていたら、
あっというまに年を越した。

このカレンダーをまねて、
なんとなしに作り始めた2013年1月の手作りスケジュール表。
気がつくといまは、8個目のそれを書き込みつつあるわけだ。
小さいけれど、使えるやつ。この四角くってちっちゃくって便利だーーい!の
カレンダーをこのあとの2013年の毎日の中でも、
大事に使って行こう。

ぴのためにたぬきに仕掛けたトリート、今朝のはちと難易度が高いらしく、
彼女はまだ隣で格闘中だ。雨がやみ、僕はすでにコーヒーを2/3飲み☆、
洗濯物を部屋のあちこちに干し終わる。

2013年の8月。
いい月になるような予感がするけど、どうだろう。
そうしたい。そうなればいい。多くの人が笑顔で過ごせる月になりますように。

くだされ! [宝もん]

昨夜の寝苦しさったらなかった。
毎年窓にACをつけたりはずしたりするので、今年はまだ
それらはクローゼットの隅に積まれたまんまである。
もうすこしはなくても大丈夫だろう、と思ってると
昨夜のような想像を絶する湿気と暑さで夜明けまで
眠れないことになったりもする。

おとついの晩は暖房が入っていた。
なので、当分は激しい振り子で季節が行ったり来たり
するのかもしれない。

今日NYは5/21。
やはり自分がデビューをした日は特別な意味を持つ日である。
大阪のバーボンハウスのデビューライブ。風邪をすこし引いて
喉が調子悪かった。そんなまだ半分アマチュア気分の大学生だった。
自分のアルバムが店に置いてあるのか
リハが終わってからひとりでチェックして廻ってたら
あっというまに本番の時間になって焦った。

初めてライブのアンコールで(「黄昏に背を向けて」だったかな)
お客さんが総立ちになったことがある。お、これが噂の「総立ちの久美子」や「貴子」で
おなじみの、、、と、ちびりそうにうれしくて前の席のかたの丸テーブルの上に乗っ
たら(もちろん人生で初めて)、そのテーブルがぐらぐらしてて、
それを見たお客さんが3人がかりくらいでテーブルの足を押さえてくれてたのを
覚えている。

「みんなのこと忘れないよー」
アンコールの最後に袖の黒幕の中に涙いっぱいためながら引っ込んだら、
間違えて客席の中だった、なんてことはチキンジョージだったかな?
大妻女子の学祭でははじめてスモークをオープニングで使った。ドラムのうしろから
ばーーんって格好よく登場するはずが煙で導線が見えなくなってしまい、ステージ裏で迷ってしまい、
「十人十色」のイントロが5分続いたこともあった。お客さんもさすがに??と思ったのか
まさかの「千里」コールで名フォロー。
で、やっと出て来たと思ったらマイクを忘れてて、「みんなの声が聞きたい」なんて
歌詞忘れたときによくやる「耳にてのひらを当てて会場を煽る芸風」はこのときに誕生したのでは
なかったろうか。

ルーイードの楽屋でMCの練習をする白井貴子さんの背中を見ながらいっぱい
学ばせて頂いた。「今夜は今夜しかないのさ」そんな気の利いた台詞を考えるのは
至難の技だ。で自分なりに苦肉の策でおもいついたのが「ハートがからあげになるまで
めらめら燃えるぜ」であった。最初これを言ったとき、お客さんもあまり聞き慣れないフレーズなので
???と一瞬妙な間が場を席巻した。や、やばい。「いえーーーーーい」なんて煽って
ごまかしたけど、
内心ハートは赤面太郎であった。

球場コンサートでサブステージから突然現れるなんて大掛かりな出し物をやったときは、
そこへ続く廊下のようなステージの中を必死で走って向かうのだが、途中でイントレで
膝を強く打ってしまい走れなくなった。音楽は打ち込みでもうあと7秒でステージから
ばーんと登場しスタンドのお客さんの度肝を抜かせなければならない。あと5秒、あと4秒、
痛みを抱えながら暗闇の廊下の下を舞台監督の回す懐中電灯をたよりに歯を食いしばって
走った。時々サイドから球場で行われている千里コンサートの大興奮が漏れ伝わってくる。
しかし、まさかの激打に顔をしかめながらの千里は暗闇中腰移動。
3、2、1、0、ぎりぎり間に合って、最後の力を振り絞り「rolling boys rolling girls
」天空を人差し指でさしながら登場した。そのあと舞台上で倒れ込んだら、
演出だと思って頂けたのか、スタジアム中が歌詞を歌ってくださった。
それを聞き、痛みに耐えながらも走って登場してよかったと心の奥から思った。

いろいろ思い返すと、ずんどこな話のほうが覚えているものだ。
そしてこうやってデビューした日を迎えると心が素直になりいろいろ話せるから不思議である。

今は2枚目のジャズアルバムの
レコーデイングに向けて準備の日々であるが、とにかく変わらないのは音楽漬けの毎日である。
去年帰国した時にツアーをいくつも一緒に廻った舞台監督と当時ツアーマネージャーだった
人と昼ごはんを食べた。
「来年は30周年だよな。千里はなにかやらねーのかよ」
と聞かれたので、僕はやらないと答えた。2013年はピアニストとしてデビューして2年目になる。なにもやらないけれど、大事なものは変わらないので、心は頂いておきますとだけ告げた。そうすると
「そう言うと思ってたよ。おめーはなにも変わんねーな」
と舞台監督は照れたように笑って、僕に新品の腕時計を「ほら!」とプレゼントしてくれた。
あのとき球場の暗闇の廊下の下で一緒に必死に移動したり。大妻でイントロの煙でふたりしてげほげほ迷っちゃたこともみんなひとつひとつが今に繋がっている。

朝起きると昨夜の蒸し暑さがまだ続いている。全身汗びっしょりのまま練習を始める。
こうやって今日一日が始まる。みなさんお元気でこれからも末永くおつきあい
くだされ!
 Viva 30th anniversary !!

さくら証書 [宝もん]

八神さんといつかデユオでNYでレコーデイングしたいねって言っていた
「さくら証書」のアルバムバージョンのレコーデイングが
きのう無事に終了しました。
集中していいものができました。
エンジニアのアルが紹介してくれた初めてのスタジオでしたが、
年代物のヤマハのグランドピアノのコンデイションがとても
素晴らしくそれにも随分助けられました。このヤマハのピアノの音は
ソフトで甘く深い響きでした。ピアニシモにとても表情がありました。
弾いてて弾き甲斐のあるピアノでした。
スタジオの人たちもみな協力的でした。始める前に水を持ってきてくれて、
「温度は冷たい方がいい?あったかいほうがいい?」
なんて聞くので、八神さんが
「それ、お水のことをおっしゃってるの?
それともスタジオの温度のことなのかしら?」
なんて切り返すとしばしスタジオ内は笑いに包まれました。
エンジニアのアル(ボーイズマチュアスローでも仕事をした)
もいつもながら機転の利く丁寧な仕事ぶりでした。
この夏?にソニーダイレクトから発売になる八神さんのオリジナル
アルバム「頭のてっぺんからつまさきまで(ほんちゃんは英語です)」
の最後に収録される予定らしいので楽しみにしていてください。
さくらのはらはら散る様子をオープニングとエンデイングに
つくりましたので(3本のピアノによる演奏)とてもスペシャルな
かんじになっていると思います。乞うご期待!

一行はそのあとワシントンDCに入りました。本日こちらで
行われるアメリカ植林100周年目にあたる「さくらまつり」
に八神さんが出演されるので僕も「さくら証書」で参加させて
頂く事になりました。今日も心を込めて演奏したいと思います。


では。




「ふるさと」を合唱した日。 [宝もん]

NJ日本人学校へ演奏しに行ってきました。

教会の建物を借りて運営しているこの学校はよき「昭和の香り」
がするあったかい雰囲気の場所でした。建物も人も。

日本の全都道府県から外国にいる日本の子供たちの
ために役に立ちたいという思いをもって応募した
先生方の中から文部科学省が派遣という形で
この学校には最大4年という赴任期間をもって
先生達が集まっています。
岐阜、栃木、鹿児島、青森、、、、いろんな
場所から夢と志を持って集まった先生方と
外国での生活の中で「日本人としての大切なこと」
をひたすら学ぶ子供たち。

演奏は「ナステイービーバー」でスタートです。
どうやったらピアノと一緒に自由になれるかを
「ちゅうりっぷ」や「どんぐり」を演奏しながら
子供たちと探っていきます。
「不思議な国のアリス」や僕の書き下ろし「Camp Sweat Heart」
などで前半はテンション高く進みます。
友人でもあるTBプレーヤー、ジョーベーテイーが加わって、
ジャズのスタンダード「ミステイ」「「イパネマの娘」
そして「ゲゲゲの鬼太郎」などを演奏します。
歌いたそうにしてる子供たちを促すとだんだん声が
大きくなって大合唱に。

夢の話もしました。何になりたい?と尋ねると「大統領」
「ゲームプランナー」「ピアニスト」みんなすごくいい顔で
答えてくれました。

後半は先生と絡みながらもっと突っ込んだ話をします。
ジョーも勉強中の日本語で加わります。
最後には「ふるさと」を父兄、先生、生徒、我々全員で
合唱して演奏会は終了しました。

生徒代表からの心のこもった挨拶や花束贈呈など、
ほろっとくるようなシーンもあり、ほんとにやれて
よかったです。

きっといつか僕が日本でツアーをやれる日が来たら
各都道府県で日本に戻った先生方とそして成長した
子供たちとまた再会する日があるかもしれません。

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日本は2月ですね。NYは1月最後の日がゆっくり
流れています。

夜露死苦、べいべー。 [宝もん]

おっとやばいやばい。うっかりしてるとまた更新が遅れる
ところだった。

今日は最後のステージプレゼンス(舞台での表現)の授業でした。
僕をよく知ってるアメリカ人は
「そんなの、千里が先生やったほうがいいんじゃないの」
って言ったりしますが、僕はそうは思わないんですね。
先生はラ、タンヤ、黒人の女の先生ですが、
アニタベーカー、ダイアナロス、ボビーマクファーリンの
ステージとかをやってた歌手なんですが、
とてもおしえかたがフェアでクリアでやりがいのある
クラスでした。
最後はそれぞれが組んでステージで演奏をするんですが、
僕は黒人のクリスと白人のベン(すまそん。ざっくりした言い方で)
とのトリオで先々週、サンクスギビングの前にもう
演奏は終わらせていたんですが、もういっこ、トリオで
演奏をするということで、今日最後のクラスで
それをやりました。スタンダードナンバーを中心に3曲。

終わってタンヤがそれぞれにコメントをくれるんだけど、
僕にくれたコメントの中に
「千里のチャーミングさは神様のくれたギフトだ」
っていうのがあって、なんかすごくうれしかったです。

自分の演奏をどう思ったって質問に僕は
「どうしてだろう。ステージにあがるときはいつも緊張感が
ある。でも緊張感がいいものを産む時がある。だから必要だと
思う。今週僕はワールドミュージックのジャーナルにほとんどの
時間を割いていた。だからいまこのふたりと音楽をシェアして
演奏できることがもうそれだけでハッピー」
ってなかんじでコメントした。本音でR

いやー、よく学びよく遊びよく泣いてよく笑ったものだ。
二度目の学生生活。
でもこれからはほんとうのアメリカでの音楽活動が始まる
わけだ。誰がライバルでもなく、自分の美しいと思う
ものに向かっていこうと思う。

まずは来週の月曜日モーニング息子のガーシュインホテル
でのライブ、そのあとは大晦日のトミジャズ年越しライブ、
そのあとは1月、ピアノデユオなどを企てている。

ひとつ前の記事にたくさんの曲のアイデアくださって
ありがとう。なんかすごく共通の感覚があって
うれしかった。

卒業コンサートは5月だけれど、実際の授業は終わったので、
これからはもう自分のために時間をぜんぶ自分でセットアップ。
なんだかドキドキする。充分大人なくせに(笑)

一足先にわがやの大掃除をすませ、シンプルな気持ちでいる。
この快適な生活の中で、
毎日ひとつひとつ自分にとって大事な目標を
丁寧にクリアしていこうと思う。
「千里の森」はFBともトウイターとも違う、大事な原点なので
これからも続けますので、夜露死苦!!!
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あいういっしゅどめりくりすまっ


ブツ到着なり! [宝もん]

ピアノを買っちゃいました。ヤマハのU3、アップライト
の少し弦の眺めのやつです。音が深くてバランスがよくて
ご機嫌です。まず最初に弾いた曲はドナリーでした。
手を洗ってから弾きました。ごきげんです。
87年生まれのピアノだそうです。メンテもよくて
これからますます楽しくなりそうです。このピアノで
いっぱい響きを覚えたいと思います。
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なかなかカバーをとらないちゅうところが
性格でてるね  たは

11月もあとすこしっすよ! [宝もん]

NYは夜の12時を過ぎましたけど、
今日も1日、よく動きました。

足つぼマッサージしながら
俺ジュー飲んで
犬だっこタイムっす。

日常って突然魔物のように迫って
くるときがあって、今週は
そんな魔物を多少は退治できた週
だったかなって。

トイレットペイパーやキッチン
ペイパーのまとめ買い。
ガスコンロの掃除。
ゆっくり風呂に浸かる。

もうあと1日で(日本はもうすぐかな?)
月曜日がくるので
あと1日は静かに淡々と
ただし多少テンションあげめに
いきたいと思ってマッスル

アメリカは来週はサンクスギビング
一週間弱の休みがあったり
なかったり。

でもそれが終わるともう年の暮れに
むかって時間は加速するので
うかうかしてられないっすね。

それでは今日の宝物 これがあるから
ある程度がなばれるっていう代物


ありがとう! [宝もん]

森の住人のみなsang&来訪者のみなsang

50s birthdayは心からストレートに思いを伝えたいと思うので。

まだ間にあうかな。NYはまだ6日なので。

いわせてください。まっさきにここで。

僕の誕生日にあったかい気持ちにあふれる
心を寄せてくれてありがとう。

今までの人生の中で数多くの誕生日を迎えてきた
けど、今回は節目でもあり、

とてもとてもみなさんの
愛が染みる日になりました。

これ以上のことばで気持ちをあらわせません。

ありがとう!!!!!!

50sもおちゃめ&ファンキーはそのままよん


よかとこですたい、じゃぱ~ん [宝もん]

そろそろ日本での総括を。
いやあ、日本を満喫できた日々だった。
父と別府の地獄温泉巡り、妹とふたり「千里万里」で
宝塚大劇場観劇、築地巡り、お寺巡り、神社巡り、お墓参り、
学校の友達が来たのでおもいがけずデイスカバリージャパンの
チャンスがいっぱい。

日本が動いている大変な時期にそれを目の当たりに
していろいろ考えることもできた。

これから何回かに分けて
日本での時間を写真と記事で載せていこうと
思う。













小銭にまつわるおはなし。 [宝もん]

日本に帰って来てからずいぶん小銭がたまった。
買物をするときは端数がでると「ちょっと
待ってください。小さいのあるかも」と
探してぴったりあったときのうれしさといったら。
たまに欲かいてあと一円だけ足りなかったりして
おもわず「すみません。やっぱり大きいので」
なんてことも。

タクシーで支払う段になって「あともう一声」と
いうときにも小銭は役立つ。しかしこの「もう
一声」に5円玉が混じってしまいそうなときは
いつも頭をかかえる。なるだけさらっとさらっと。
「あ~、あと10円が財布にもう一個あったはず、、、、
ああ、わ~、、、ごめんなさい。見つからない。
もうしわけない。これで、5円ふたつでほんとに
すみません」
なんのことはない。小銭を整理しているだけなの
であるが、たまに「いいですよ。同じお金ですから」
なんて言ってもらうとすくわれる。

日本にいるあいだにずいぶんな数の神社に行ったが
お賽銭に小銭は役に立つ。たまにごそごそ財布を
まさぐっているおばちゃんをみるとおもわず
「小銭つかいますか」と言いたくなるのをぐっと
こらえる。

NYではよくペニーが道に落ちているのをみるけど、
だれもひろわない。アメリカ人の友達に
「だってペニーだよ。何に使える?デリの支払いくらい
だよ」と言われたことがあったが、
日本の道には1円玉はあまりみかけない。
「一円を粗末にするものは一円で泣く」
ずっとずっと前、母にそんなことを言われたなと
いま思い出す。小銭に一抹のいとおしさを
感じるのはこういったところからきてるのだろうか。
そうやって改めて小銭をみるとどれも愛嬌があって
かわいい表情にも見えてくる。


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